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O ループロープ・インファント/X

ループロープ・インファント/×

 

「――ふ」

 三条結は声を出す前に、体温ばかりに上昇した熱を机の上に漏らす。そしてためらいもひっかかりもなく優雅に立ち上がり「キリツ」と「レイ」を無難にこなす。いつも通りの甘い声をそれなりの枠の中に入れて出荷する。あるものは即座に、あるものはめんどくさそうに立ち上がり、それでもなにごともなく本日すべての授業が終わる。

 クラスメイトたちが、用の済んだ教室から去って行く。

 チャイムはとっくに止んでいる、しかし三条結の中ではまだ音楽が響いている。体を揺らせば重い音が胎の入り口から響いてくる。

「おー……」

 ショッピングモールに誘われた結は、その誘いを所用で断った。それはなにも、今日、結が他人に言えぬいけない遊びをこうして愉しんでいるからではない。今日が火曜日でなかったなら――そして、今日のように歩く度に刃を振り回す慣性のなまくらや、冷える下着を纏っていたならば、断らずに愉しみの方向を変更するだけで済んだのだけど。

 火曜日はダメなのだ。

 だって、タイミングが悪い。羞恥に満ちた帰り道なんて、つい最近ひとりで愉しんでしまったばかりなのだ。

 試食コーナーを巡りながら二種類の欲求を満たし、帰ってすぐに三種類目の欲求を満たしたら朝になってひどく後悔した。下着を一つダメにしたことと、少しばかり目方が増えてしまったこと。それでも「クラスメイトにバレ無いように」というシチュエイションは、結にその日のための準備を怠らないよう決意させるだけの魅力があった。

 結は自分でも飽きっぽいという自覚がある。だから、世の中に限りあるかもしれない自分の興味が惹かれる物の寿命をできるだけ長く愉しみたいと望んでいる。おなじおかずを続けて食べ続けるよりも、ローテーションした方が良い。

 いま結が興じている「危険なあそび」も、彼女にとっては言うほど大したことではないのだ。

 ――かといって、露見したら破滅だという自覚も忘れてはいない。なによりも、破滅こそが愉悦の根源だと、結は知ってしまっているから。

 この遊びは結にとって「制服のポケットからかわいいストラップをこぼれさせる」ことや「髪に隠れた耳にこっそりピアスを付けてみる」ことの延長でしかない。要は自分が楽しめればなんだって――勉強だって、良かったんだ。

 だが、結はこと趣味においては偏食家だった。

 盛り場でサイケな音楽に身を任せてトリップ。部活で巡り巡った縦社会のクレバスとアスレチック。家に帰って体温の感じられないLANケーブルの向こう側とプラスチック。

 そのどれも結を満足させることはできなかった。

 だから、結は歴史に学んだ。本能の奥底にある箱を、世の人が設定した適齢よりも先にさっさと開いてしまった。「開けちゃダメ」なんて言われた物はどうせおもしろくもないものなんだから、さっさと開いてしまえばいいじゃないかケチケチすんじゃねーよ。そう思った。期待はしていなかった。いままでの「これおもしろいよ、結ちゃん」は(ことごと)く、ほんとうに悉くつまらないものだったから。それが良かったのかも知れない。

 これが意外と、楽しかった。

「ふ――――――ぁっ」

 立てば、こすれる。歩けばさらに振れる。刺激の足りない日はほんの少し丈を短くする。

 誰かがいる廊下より、誰もいない教室の方が、幾倍も心臓を揺さぶられることを結はこの遊びを初めてたった数週間で気づいてしまった。

「――――ひゅ――ぅ」

 三条結には決まった相手などいない。セックスなんてものはもうしばらく要らないかな、とまで思う。誘われて、その夜限りなら――もちろん相手次第だが――ヤったっていい。でも、数ヶ月前までにこなしていた飛び石を跳ねていくような遊びには、もう楽しさを求められなかった。

「く――――ん――――」

 僅かな声混じりの吐息で、結は廊下を進む。声を出さないことだって出来る。

 ――だけど、誰もいない廊下で、声を出しながら、誰かが不意に出てきやしないかと怯えながら甘い声を漏らせば、それだけで――アガる。

 結はそれを知ってしまった。そんな声を出すためのスイッチを張り巡らせる世界を知ってしまった。

 最後の男に、その世界の入口を教えてもらった。その男はつまらないし、乱暴だし、財布のヒモも堅かった。つまらない男は小道具を使って行為を愉しもうとあがいていた。結は全く反応しない自分の体と膝を抱えてあくびをしていた。癇癪と鞭が飛んできた。結は癇癪を起こして、そこらの荷物をまとめてホテルを後にした。

 ――赤い縄が、バッグの中に入ったままだった。

 その縄が今も、結の躰を巡っている。

「――んっ――んっ――」

 階段に差し掛かった。廊下を歩くのになれた頃に這い寄って来るものがいる。その襲来を期待しながら一段ずつゆっくりと上がる。途中でジャージに着替えた陸上の連中とすれ違い、会釈をする。心臓がほんの少し跳ねる。

 陸上部の連中は、そのまま降りて行ってしまった。

 ――ああ、足りない。

 結はそれではダメだった。

 陸上部の連中の最後が行ってしまうと、結はすかさず自らのスカートの前を盛大に持ち上げてみた。踊り場の空白を見据えたまま。振り返ったりはしない。振り返ったりしてはいけない。陸上部の連中は部活に向けて急いでいるから、自分を振り返ったりはしないと信じる。

 それでも、もしかしたら、遅れた奴が降りてきて、自分の奇行に気付くかもしれない――。もしかしたら、あいつら陸上部は火曜日に出る痴女の正体を探していて――そんな思考を巡らせて、ようやく結の心臓は満足なほど跳ねた。

 耳が遠くなるくらい、十秒にも満たない時間が三分ぐらいに感じられるこの瞬間が、結に恍惚をもたらす。身体が揺れる。身体が揺れると、結の内側に仕込んである(おもり)も揺れる。それで、結のキャパシティーはにわかにいっぱいになって、器が溢れる。足が震えてくずおれてしまいたくなる。――でもまだ、いま音を立てたら気のいい陸上部の彼らが、何事かと様子を見に戻ってくるかも知れない――。

 まだ、はやく、まだ、はやく――。

 足の震えは、回り回って、結の敏感なところ全てを(むし)って行く。

 程なくして、陸上部の連中の何事もなかったかのような笑い声が、階下から聞こえてくる。結は(つま)んでいたスカートの裾を離す。下着の上に縄を纏い、その内側に音立てぬ錘を(くわ)え込んだ異常な下半身が(うすぎぬ)に再び隠されていく。

 内より滲みはじめた熱が、ささくれをなだめている。

「――ああ」

 体温をじわじわと上昇させながら、結は階段を上る。踊り場はオアシスのようだ。それでも暑いことに変わりない。

 三階に到達するころには、波がやってきており。

 四階に到達するころには、海になっていた。

 結は上ってきた階段を眺める。三階と四階の間に佇む薄暗い踊り場だけが見える。もし、この階段を駆け降りたら、結は一気に楽になれそうな気がする。階段の途切れてしまった四階が屋上に届かない構造がうらめしくて、踊り場を見る目が物欲しさだけで満たされていく。

 そして貪欲な結はそこに人がいることを想像して、また、さっきのようにスカートの裾を持ち上げてみる。内側から水音がする。触ってしまえば――。ここに続く縄を、どの縄でもいいから引っ張ってしまえば――。

「――だめ。決めたんだし」

 結はそういって自分にお預けをくれてやる。

 そう、どの男もここの機微がなっちゃいなかった。ただ力任せに、ポルノビデオと同じセリフを再生して――それを自分でもわかっているのか苦笑いをするのだ。それが結にはとんだシラケだったんだ。

「――うん」

 結は疼く躰に鞭をくれる。そしてその先に飴を置く。そう。だって――階段の上り下りを続けるのは――もうやったじゃない。今日は――。

「――今日は火曜日だよ、ゆい」

 かすれるこえ。物欲しげに餌をねだる猫と、お預けしてその反応を愉しむ飼い主の声が混ざる。

 結は施設棟四階のトイレの前に立つ。何事もないようにトイレに入る。誰もいない。すべての個室が空いていることを確認する。洗面台が二つの奥に個室が三つ並んでいる。その真ん中の個室に結は決めていた。

「――――ふぅ」

 背中から毒が子宮に、そしてそこを伝って大地に流れ落ちる。ドアではなく壁に背を持たせ、フタの上にスクールバッグを載せる。そしてトイレットペーパーの端が折られているのを確認した。漂白剤の臭いが、幽かに残っている。

 結は知っていた。――いや、調べていた。火曜のこの時間、この界隈には人がいない。だから清掃業者は一番上だしここから掃除をはじめる。専門棟のここで火曜日に部活をする部がない。祭りの前なら話は別かもしれないけれど、結はまだ一年だった。

 だからこそ、邪魔が入らない……しかし、いつ入ってもおかしくない。

 この時間のこの場所にチャンスがあるのだ。

 三分。

 心臓の音が穏やかになっていく。誰も来ない。壁に付けた耳に足音も誰の音も聞こえてこない。結はまだ個室のドアを閉めていない。だから他の個室と同じようにわずかな隙間をあけて「ここが空室です」と主張している。けれど、これは結の怠慢ではない。結はこう思う――もしも誰かこのトイレに入ってきたときに、埋まっていれば変だと思うはず。そっちの方がリスクが高い。だって結なら――すべての個室が空いているなら、一番手前か一番奥を選ぶからだ。

 もし――まかりまちがってこれから結が成し遂げようとしている淫奔(いんぽん)の最中に、誰かが真ん中の――結がいる個室を開けてしまったなら――。

「――――ふぁあ」

 声が漏れる。

 それを想うだけで、結は冗談ではなく達してしまいそうになる。全身のうぶ毛が静電気を寄せ集めて発電をはじめてしまいそうな勢いだ。その電気はぐるぐるとめぐって、子宮のあたりにたまって、結の一番敏感なところを責め立てる――。

「――だ、だめ。まだだめ」

 結は両手を壁に付き、静かな声で再び自分をいましめる。そうだよ結、これからもっと楽しいことをするんだから、先にデザートをたべたりしちゃダメなんだよ。

「そう――いいこ――結」

 結は上履きを脱いで、腰に手をやる。そこには縄がある。その赤い縄は、結が最初に手にした縄で、今日は下半身だけを彩っていた。日常身につけるにはどうしても痛かったから、今でも結は下着の上にこれを付けることにしている。湿りが乾きだして、結の熱を持っていくその絞れそうな布を縄の隙間から――競泳水着を下着の上から脱ぐ要領で取り出していく。

「――たぃ」

 縄をずらす。そもそもすこしゆるめにしてある縄は、結が力を抜けば安全な場所へずれていく。

 結はバッグを開ける。チャックの音が響く。空けきったら一呼吸。人の不在を確認し、その不安を愉しむと共に、さっき腰の縄を下ろしてしまったせいで、ささくれの先だけがこよりのごときもどかしさでいたずらをする。

 それがまた、歯がゆかった。

 バッグの中には、また縄がある。長い。そして今腰に付けている赤いのよりも伸縮性がありやさしいものだ。結は器用にその先を結んだり、結び目を付けたり、時に自分の躰や腰の縄に通していく。

「――っし」

 荷物掛けに縄の真中をかける。ドアはまだ開いているから結が動く度にきいきいと軋む。

 

 ――やめなよ。

 

 どこかで、まだ生き残っていた人のままの三条結が、みだらな三条結を見て泣きそうな顔をしている。みだらな結が、蕩けた目で、冷静なまま、低い声で言い放つ。

 

 ――ざまあみろ。あんたは、一生ここに来れやしないんだ。

 

 口で縄を咥え、たるみをつけながら作業をする。

結の左手はとっくに動きを封じられている。左を無理に動かせば、赤い縄に沿って捻るように這わされたこの縄が、結の茂みをかき分けていく。右手を引くと荷物かけが引かれ、その先に繋がった右足が持ち上がる。

「――――ふっ」

 笑い声をあげる。しゃっくりのようでも、鳴き声のようでもあった。

 ――もし、今ドアが四十五度開いたときに、誰かがいたら。

 ――もし、今ドアが四十五度開いたときに、足音がしたら。

 ――もし、今ドアが四十五度開いたときに、ナニもカモをご存じの誰かがドアを開け閉めして、結のまたぐらに這わされた快楽の縄を引き絞ったあげく、崇高な趣味の証拠を電子メモリーに記録されワールドワイドウェブの大海で釣り上げた(はし)から増殖していったら――。

 ――そして、泡を吹きながら嬌声をあげる自分の姿を、液晶越しに見せられでもしたら―――――。

「―――――――――ああ」

 きゅっと結を巡るすべての縄が張る。そうなるように、そんな刺激がほしくて結は手と足を動かした。そして、一拍。

 右足と荷物かけに繋がった右手を一気に後ろに。フラッシュバルブの突起に張った縄が掛かる。そこをしめる最後のたるみは、左足がやってのけてくれていた。

「――――できたァ」

 半開きのドア。

 左足だけ自由な体。

 部屋の中に張り巡らされた土色の縄は、結の身体を戒める。

 その中でひときわ鮮やかな赤色の縄は、結の快楽を高める。

 ここに入る誰かを遠ざけるすべなんかない。ドアは力学に乗っ取り四十五度開いている。だれかが入ってきて、誰かが入ろうとすれば、異常に気づくだろう。

 見捨てられるかも、しれない。

 それはそれでいいのだ。結はちゃんと、この状態から脱するすべを隠し持っている。その術は役に立たなくとも、あとで目と耳で結を楽しませてくれるものだ。それでも、そのことすらも忘れる程に、今の状況が楽しくて、心臓が跳ねる。心臓が跳ねる度に、もどかしく全身の縄が擦れる。

「あ――。あ――――!」

 声を出せば、さらにその気が高まって、止まない。痙攣を起こしたような息が止まない。寸断するふるえが結の躰を責め立て、また痙攣を呼んでくる。あまりにも良くできた永久機関だった。そしてこの痙攣はあまりにもやさしかった。

 

 はじめてのくせに、どの男よりも焦らし上手だったんだ。

 

「もう――もう――もっと――……! はや……く……ッ! ――――ッ! あ! ふぁ――」

 

 この結線が完結してまだ五分も経っていない。

 なのにもう、三条結は、誰かがこのドアを開けてしまうことを願っている――。

 

 

 

 

 

〈グレイプニル・グレイブ 了〉