M テンタティブ・テンタキュラ・ユグドラシル/2

テンタティブ・テンタキュラ・ユグドラシル/2

 

「せんぱい、我慢しなきゃダメですよ。最弱にしてありますから、わたし、いつものところで待ってますから。五分後に来て下さい、そしたらきっと十分後には着くと思うんです。わたしが中でどんな風に待っているかちゃんとソウゾウしながら一段ずつゆっくり上ってきて下さいね。誰かが来ても平然として、誰かとすれ違ったら背を向けたままスカートを上げるんです。そうしたら、もっと気持ちよくなれますからね。……十五分したら、帰っちゃいましょうか?」

 

 結が十分前にゆっくりと耳元で囁いたその言葉を、噛みしめながら佳恋は施設棟の階段を上っている。

 ――はやくして、結、はやく、はやくして。誰もいないところじゃなくたっていいじゃない。ここだっていいじゃない。結、ねえ、結。もう、私、もうせつなくてたまらないの。被服室でもうあんなに焦らされたから。ねえ、あなたの唇どうしてそんなに水飴みたいに――。

 人の気配がした。

 考え事をしてなかったから、わからなかった。

 ――誰かと、すれ違ったら、スカートを上げるんですよ。

「あ」

 上げなきゃいけない。と佳恋は(ゆ)だりきった頭で、思う。夢見心地一歩手前の、マルチタスクお断りの、ピンボケあたまで思う。すれ違ったんだから上げなきゃ。大丈夫、見られたりなんかしない。結はいつもこうしてるって言ってたじゃないか。

 

 下着も穿いてない、ミダらな下半身をサラさなければ!

 大丈夫、キミの目には何も見えてないんだから!

 

 ざわざわと、世界がざわめいている。

 

「――あれ?」

 

 佳恋の目にはいつからか、魔法が宿っていて。

 その魔法は、人が隠したものを見つけられるちからがあった。でも、魔法は変質する。佳恋の恋は盲目を呼んでしまった。指向性を手に入れた魔法は同時に他のものを阻害することがある。

 例えば――誰かが隠したものだけ見えるように願って、それが叶ったあと――他の誰かが隠したものが、なにもかも見えなくなったら?

 

 ――ねえ、カレン! 見えなくてもカンじることはできるだろう! この(きざはし)にタカる群のサワぎとドヨみを――!

 

 声がする、背筋に寒いものが走る。目には見えていないけれど、はっきりと聞こえる。佳恋はスカートを上げて、秘密を晒したまま立ち尽くしている。それは佳恋にとっては誰も居ない場所だったけれど――。

「あはは――とんだ格好だね! そのニクはどこにフクまれて、誰にツバキをテンじられるのだろう! ――キミをこの上にヨウするわけにはいかないんだ! だって、だってキミの目にウツるものが、ボクにはどうしたって気にくわないんだからね――! キミにロウずるボクのカクれは、キミをスクえるかな――?」

 もう、破滅は明らかだった。

 踊り場の上に、ひとり、ふたりではない誰かがいる。その誰もが好奇心と好色と侮蔑と唾棄を混ぜて佳恋に投げつけていたんだ。誰かは先生を呼びに行くだろう。さめざめと泣く誰かの声にいくつか覚えもあるだろう。ゲンメツを呟く声に義憤を募らせる男子がいることすら、感じてしまうだろう。

 佳恋にはもう、見えないことだけれど。

 佳恋は震えている。魔法が役に立たなくなったことでも、いつのまにか人ならぬ身になってしまったことでも、真田瑛子や、他の自分を知る誰かにこの痴態を見られてしまったことでも、結のことでも。――そのどの恐怖でも、ない。

 

 佳恋は、震えている。

 甘い声を出して震えている。

 

 

 緑色の髪を波打たせた真田瑛子の舌先から、

 赤い蛇をのたうたせた佳恋のまたぐらから、

 歓喜の雫が、

 落ちていく。