H ステンドグラス・ストラテジー/5

ステンドグラス・ストラテジー/5

 

 その場所とは被服室の隅ということだった。通気戸をくぐり中に入ると、三条があられもない格好で立っていた。

「――せんぱい、ごめんなさい」

「な……に? どうしたの、三条……さん」

 カーテンは閉められていたけれど、扉は開いていた。やっぱり全身に縄をかけた姿で、昨日とはちょっと違う結び方で、制服は綺麗に畳まれて作業机の上。靴下と縄だけの三条結だった。

 ――なんで。

「話、するんじゃなかったの……?」

 佳恋は扉を閉めるのも忘れて、そう聞いた。

「せんぱい、閉めましょうか、戸。鍵も」

「あ、ご、ごめん……」

 通気戸を閉めて、佳恋は鍵をかける。

「あ……」

 三条がなにをか言おうとしていたけれど、佳恋は気付かない。三条も佳恋にそれ以上言わず、代わりに携帯を差し出した。フェンリル指示(・・)が表示されている。

「――あの、メール」

「……いい」

「……え」

 佳恋の拒絶に三条が一歩下がる。佳恋はちょっと自分のキャパの小ささに打ち(ひし)がれてしまっていただけだった。目の前の倒錯――この世界のどこかに、こんな倒錯があって、それに脅されているとはいえ従っている子がいて――。こんな異常なことを、佳恋は自分だけでどうにか、丸く収めようと、解決しようとしている。

 そんな思考が、あまりにも愚かで子供っぽいことのように、一瞬思えてしまった。首を振って、ひとまず飲み込む。

「――そういうんじゃないの、ごめん。……寒く無いの?」

 三条は殆ど全裸だったから。

「……大丈夫です。これから……あったかくするので……」

「――え?」

「ちゃ、ちゃんとみていてくださいね、センパイ」

 ぎっ。と縄の軋む音が聞こえた。三条との距離は人ひとり分以上あるのに。繊維のひとつひとつが、三条の皮膚を刮げていく音が聞こえる。そんな音を立てながら、三条の右手が左胸に、左手が秘所に及ぶ。

「――なに」

 右手は親指と小指で肉を挟みながら、人差し指と中指で、乳頭に刺激を。

 左手は縄をかき分けて、中指を三条のうちがわへ。

「なに――して」

「せんぱい、そんな目で――ああ……」

 佳恋の目の前で、三条は自慰をはじめてしまった。それも、恥ずかしがるような(おもむき)はほんの最初だけだった。すぐに三条の息は荒くなった、左手の――秘所の方からは明らかに水音が響いてくる。薄明かりの中で陰毛がぎらぎらと光って、踊っている。声が、甘くなる。

 その様。(とろ)けた三条の瞳を見ていると、佳恋にはこれが脅されているものの姿とは思えなくなってしまった。

「何をしてるの、三条さんッ!」

「――メイレイなんです。これは、先輩のためなんです」

 三条の揺れる視線が、作業台の上を指す。指は止めないままだ。右手は一本であることがもどかしいように、もう片方の胸をも貪欲にまさぐる。

「――そんなことッ! しないでいいよおっ!」

 佳恋はメガネをかけて室内を見渡す。これが脅迫なら、その根拠になるものが――どこかに――教卓上のスピーカーの中にカメラが見えて、他にはなさそうだった。佳恋はメガネを取り、ターゲットに椅子を持って走る。

「ダメ!」

「なんで!」

 それでも三条は指を止めない。だめなんです、だめなんですと壊れたラジオのように繰り返してまた、携帯を見る。

 佳恋は、唇を噛みながら三条の携帯を手にとり、バックライトを点けた。それはさっきまで三条が見ていたのだろう、すぐに表示された。

 ――おカタいきみの先輩に、いつもきみがしているようなオナニーを見せてあげよう。

 吐き気がする文面だ。

 ――できたら、自分がなにをしているか、口に出してみよう、きみの大好きな先輩だけじゃなくて、ぼくもちゃんと見ているからね。ああ、でもきみたちはそこにカメラがあるのを知っているだろうけど、それに触れたらルール違反だからね。

「なにが……ルール違反よ」

 佳恋はもう、憤懣(ふんまん)やるかたなくなって椅子を蹴る。ルールってのは、みんなで遊ぶときに、楽しく遊ぶための決まり事のことを言うんだ。これのどこが、楽しい遊びなんだ。

 ――ルールに違反したら、罰をあたえなきゃいけないね、先輩、ちゃんとこれを読んでいるかな? カメラになにかしたら。きみの後輩にはもっとはずかしくて、もっときもちのいいお仕置きをあたえなきゃね。あ、罰なのにきもちのいいとか、ぼくも甘いねえ。

 ――じゃあ、みてるからね。

 ――フェンリル

「ち……っきしょ!」

 使ったことの無い言葉だった。小学校の時にクラスの男の子が使っているのを聞いたくらいだ。あとはお父ちゃんが――悔しがったとき、一回……いや、二回使っただろうか?

「……あ、だめ……もう、止まらないよ……見て、せんぱい。わたしを、三条結の、オナ。見て下さい」 

「やめて、三条さん……止めて!」

 佳恋が動くのは口ばかりだった。手が出ない。三条は構わず、佳恋の前でショウを続ける。

 三条は下半身の縄の先、(へそ)の辺りの縄を手繰り、それを大きく擦り始めた。前後に、左右に揺らす。そして内側から掬い取った分泌液を、縄の当たるところに自分で塗りたくりながら自慰は続けられる。敏感なところがささくれに蹂躙されていっているんだろう。しぶきが飛ぶ。リノリウムに水の滴る音が響く。三条の口角からは涎まで垂れている。

 それは。人前に晒されるものではないはずなのに。

「三条さん……」

 佳恋はリノリウムに膝をついてしまう。冷たかった。 

「あ……ごめんなさい。あたし、無理に……あのでも……メイレイだから……そのごめんなさ、ごめんなさい……あの、あた、あたし、あ、もう。ぃ、ひっ、い、んっ……んんんんっ……」

 謝罪の言葉をのべながらも、背徳者の手は止まらなかった。前と後ろに大きくふるわせられていたその縄は、やがて小刻みに動くようになる。そしてそのふるえは彼女の腰によるものに変わる。縄の方が空中に固定され、そこに彼女の秘所がこすりつけられるような。あのささくれた太い縄がその度に彼女の肌を朱に染めているのに。

「はあ……っ……ああ……いい……すき……」

 なにも見えなかった。彼女にはなにも隠す場所がなかったから、ふつうに見えるもの以外のものは見えなかった。とめどない快楽に体をふるわせた下級生の体は、痙攣を繰り返しても、まだ動き続けていた。

 やがて、埃の固まりと糸くずの層が形成されはじめていたリノリウムの上に膝がかくりと落ちる。

「……メイレイ、だったの?」

 ――ほかにかける言葉はないのか、佳恋。

「はい……」

 その顔は、達成したような。

 いまの自分にとてつもなく満足しているかのような。

「立てる……?」

「あ、今触ると……あの――あ」

 生理的な――とてもわざととは思えないような痙攣が、掴んだ三条の二の腕を通して佳恋に伝わってきた。体温と一緒に、彼女が得た快楽まで、伝わってきてしまったようで、佳恋は自分の顔に血が巡るのを感じる。頭の中に、自分がそうなっていたら――というどうしようもないビジョンが一瞬映ってしまう。

「ごめんなさい、せんぱい……しかたなかったんです」

 佳恋は何も返さなかった。

 ポケットティッシュで汚れたところを始末して、制服を着て、三条は帰っていったけれど、佳恋はしばらく被服室に居た。取り残されていた。

 守るとか言った癖に、どうしていいかわからなかった自分を抱きかかえながら。情事のありさまをずっと思い浮かべていたんだ。

 

 

 夜。自室の佳恋に三条から謝罪のメールが届いた。

 ごめんなさいからはじまって「結のことはもう、わすれてください。大丈夫ですから、フェンリルだってもう、飽きる頃です。脅しを実行したら、おもちゃを捨ててしまうようなものでしょう?」と記されていた。どこかで聞いたような言葉だった。そこには矛盾がいくつもあって、佳恋の手に負える気がしなかった。

 それに、佳恋にはそんな難しい事を考えていられない。佳恋の頭の中は他のことでいっぱいになってしまっていた。

 さっき。

 彼女の下半身にまとわりついていたあの縄、彼女の表情、歓喜、羞恥、あれが自分の体にまとわりついていたら――そんな、はしたなくていまわしくてきたならしい一瞬のあやまちみたいな妄想の続き。気付けば佳恋は、自分のまたぐらの間に手をやっていた。

 

「――ばかばかしい」

 

 恥ずかしさに声を出して、跳ねそうになった体を押さえ込んで、佳恋は無理矢理夢の中に逃げていく。