読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

c ペイル・ペリセイド/X

G 壺井あさぎ 9 チョコレート・コレクト

 

 壺井あさぎが夜の路地を歩いていた。赤いトレーナーにデニムを着ていた。サイド二つに結び直して、サングラスも拝借した。香水をぶちまけて、三件目の漫画喫茶でどうにかシャワーを浴びて、逃げた。ほんとうのひとりで生きていくのは、ことのほか大変だった。

 半乾きの髪が重い。けれど、もう少し気付くのが遅かったらパクられていただろう。あさぎはすんでのところで逃れながら、危機に反応出来る自分を少し誇らしく思っていた。

 あさぎはあれから、毎日だれとも知らぬ人をめくらめっぽうに食べて、文字通り食いつないで居るのだった。壺の欠片で居るときはこんなにお腹は空かなかったのにいいい、とあさぎは悪態をついても、腹は減るばかり。折角手に入れた服もヘンシンする度に破けてしまうのは悲しいし、何より面倒だ。だからって脱いでから襲うのはあまりにヘンタイだし、おなかが空いているときにすっぽんぽんで出て行ってぱくっと行くのはサマにならない。

「あーああああ! おなか、すいちゃったあああああ!」

 そんな懸念も、空腹の前では何の足しにもならない。路地から大通りをきょろきょろと見渡し、また首を引っ込める。ここはあさぎが元いた街からしばらく離れた海辺の町。観光名所も多いここでは外国人を多く見かける。

「ほーらほらほらああ、ビッグアイデアあああてなもんですよおお、ひっひいい」

 そう、外国人ならきっと足が付きにくいだろうとあさぎは安直に発想した。そんなこともないと思うのだが、思い込みを修正する間もなく、こんな夜にスーツケースを持って裏路地に入っていくブロンドの少女を、あさぎは見つけてしまった。

 それにぴーんと来た。同性のあさぎから見てもそれはかわいらしい佇まいだった。有り体に言うと、とても食欲をそそった。クミちゃんを口にした、あの甘美な記憶が蘇る。自分よりも幼い、年端のいかない少女であることなんか、取るに足らないことだ。

 ――あさぎがこんなにお腹を空かせてるのにいいい、ノンキに旅行なんてしてるのがわるいんだもんねええええ!

 決めた。なんつってもオッサンよりオンナノコの方が明らかに腹は膨れるしウマい。シノちゃんほどウマいのは居なかった。シノちゃんは本当においしかったしおなかが膨れたなあと、あさぎは空きっ腹を抱えて少女を追う。横断歩道の上、青を待ってまっすぐ手を挙げて。

 ヘンシンするまえに服を脱いでおこうかとかって、やめた。だって旅行者だ。自分と背格好の変わらない少女がゴロゴロ引いていくそのスーツケースの中には、かわいらしい着替えが入っているに違いないんだ。あさぎちゃんはお見通しなのだ。

「やたらっきいいいいいいッ!」

 小声で叫ぶ。ガッツポーズなんかキメて浮かれていた。

 そう。

 あさぎは、空腹だったとしても、いや、だからこそもっと注意を払うべきだった。しかし、あさぎの中でアドバイスしてくれるかけがえのない友人達の声はかき消されていた。

 ――だって、ガイジンの女がひとりでいたんだろ? それって、もうやべェよ。

 ――壺さあ、食べたいって思っちゃったわけでしょ? 同類に決まってんじゃん、バカ。

 路地裏の入ったところ。ビルの谷間。いかがわしいネオンすらない砂利の敷かれた簡易駐車場。ブルーシートの被せられたトラックが数台両脇にならんでいる。

「――あれ、行き止まり?」

 こんなところに宿泊施設があるのだろうか? どのビルも非常口くらいしかありそうじゃない。なんだ、あの子も迷っていたのかなあ。そんなとぼけた思考で、簡易駐車場に足を踏み入れた。

 直後、背中に痛みを覚えてあさぎは後ろを振り返った。

 もうひとつ肩に痛みが増えた。あさぎは上を見た。

 誰も、いない。

 でも、攻撃の相手をさがす必要はもう、あさぎにはなかった。

 肉の打ち破られる音と共に、耐え難い痛みが次々と襲ってくる。

 あさぎはこれはいけないと思って壺にヘンシンしようとした。けれど、もう遅かった。脚が、身体が宙に浮いた。

「――――アッ」

 内側から生えた無数の釘が、あさぎを砂利に打ちつけていた。視界がくるくると回っている。新しい釘は次々と生えて、やわらかい皮膚を撃ち抜き、その衝撃でちいさなあさぎの身体は上に跳ね上げられた。壺になろうと頑張っても、その釘が邪魔してヘンシンできないのだ。

 その間にも次々と釘が生えていく。砂利が舞って肌に殴りつけられる、痛い。

「――――、――――」

 知らない言葉があさぎの耳に届いた。英語じゃないと思った。そんなことより、痛くてしょうがなかった。抜けない。目が見えない――。

「――――――、――――」

 外の国の言葉で唱われた般若心経のコンサートだった。観客は釘だらけの少女がひとり。でもきっと、もう何も聞こえていないだろう。

 あさぎの血を吸って、釘が新たな釘を産み、結晶の枝を成長させる。やわらかい部分を刮げ、引っ掻き、貫き、皮を破って飛び出す。あさぎが動かなくなっても、結晶の成長は止まらない、全ての血を吸い尽くし、カオス理論の教材みたいな鉄のオブジェを完成し尽くすまで。

 

 あさぎは動かなくなった。

 すると釘ももう、あさぎから生えてくることはなくなった。あさぎは少女のまま、砂利の地面に無数の釘で打ち付けられた。かわいらしいと誉められたこともあったけれど、もはやその面影は、どこをさがしても見あたらない。

 

「―――――――、――、――――。――――」

 

 異国の少女が、その国の言葉で祈っている。礼を尽くすように頭を下げたり、拳をもう片方の掌に押し当てたりとせわしない。少女はその儀式が一段落してやっとあさぎの所に近づいた。白い手袋に覆われた両手を無数の釘が生える隙間に器用に差し込み、両側に開くようにする。

 あさぎはふたつに割れて、血の抜けたピンク色の中身をさらけだした。

 異国の少女はへの字口のまま、目だけをきらきらさせてスーツケースを開く。誰にも聞かれていないがこくりと喉が鳴った。スーツケースの中には白い食器セットと塩、砂糖、胡椒、ソイソース、マスタード、タバスコ、包丁、フォーク、ナイフ、トング、カニスプーンまでそんな調理器具が背の順に並べられ詰まっている。

 少女はナプキンを取り出し、首にかける。

 スプーンを順手に構え、あさぎの内側に当てた。

 

 暴力的な音が、続いていく。

 

 

 もし、壺井あさぎがこの光景を自分で見ることが出来たら。

 ウニみたいだねと言って、笑ったかもしれない。

 

 

 

 

 

 おいしく食べてと、笑っていたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

〈ペイル・ペリセイド 了〉