a ペイル・ペリセイド/7

ペイル・ペリセイド/7

 

 砕かれた壺井あさぎはしばらくそのままだった。

 原因不明の落下物による事故(エンゼル・フォール)なんて名前を付けられたあと。「運がなかったですね」なる心ない為政者代理のオコトバとともに倉庫は閉鎖された。肉は廃棄され、ヤバいものは回収されていったけれど、瓦礫の散乱した床はそのままだった。電源を落とされてからもそのままだった。

 あさぎにとっては不幸中の幸いだった。気絶から目を覚まし、エネルギー効率の良いまどろみの中で夢のような現実と自分の行く末を夢想するには充分な時間を得ることが出来たのだ。

 

 ――――こーん

 

「サクライさん、これもッスか?」

 声が聞こえて、あさぎは目を覚ます。

 若い男性の声だ。それに応えるように歳のいった男性の声がいくらか、そしてドリルとエンジンの音が聞こえる。床にまんべんなくあさぎは散乱していたから、映画館ばりの轟音が響いてやかましくなる。あさぎは耳を塞ごうとするけれど、散乱するセラミック片となった自分の感覚器の閉ざし方がわからない。

 ――――んもおおおお、うるっさいいいいぞおおお。

「ウメモト、なんかいったか?」

「だからァ! これ、これ全部動かすッスかァ!」

「これじゃわかんねえよ! タケ! ハイブツもやんだからチャッチャいこうぜァ!」

「ヘーイ。ほらウメェ――、全部ったら全部だぁ――なんも、かんもだよぉ――」

「ラジャーっす!」

「で、ウメモト。なんか言ったかァ?」

「ハァ? 聞こえねぇース!」

「ンだその返事は! ハイブツと一緒に再処理に計上すんぞ!」

 若い作業員は、上役が荒げるイミフなイチャモンを聞こえないように、持っているハンドドリルを鳴らして愚痴っていた。

 いまのあさぎには視界はない。けれど、少し古い3Dゲームの様な色のはっきりしない濃淡と質感ばかりがリアルな視界が三百六十度に感じられる。その間隔は全体に広がっており、マトモに散乱したすべてのあさぎで感じようとすると酔ったような変な気分になるので、キケンな気がしたからそれをやらない。

 若い作業員が、ドリルを固定什器の金具にあてがいながら、愚痴を張り上げている。

「おうやってみろ――ッ! 手当増やせおらァ―――!」

「おうお前そんなこと思ってたのかァ―――――軍法会議じゃァ―――――!」

「うるせえぞ労働基準監督署でましょうッスかァ―――――?」

 途端、後ろに上役が居ることに気付いてなかった彼と上役の醜い争いがはじまってしまった。

 それで、あさぎはまったく目が醒めてしまった。

 作業員達は壊れた什器を運び出しに来ているようだった。じゃあしょうがないなあ。とあさぎは心の中でごちる。本当はもうちょっと休んでいたかったのだ。でも同時に、そろそろ行かなきゃいけないと思っていたところではあるのだ。だって、このまま待っていたって誰かが来るわけじゃないから。

 ――クミちゃん、どうしたかなあああ。

 最後の瞬間どうなったのか、あさぎはよく覚えていない。自分の意識がまだあるのも不思議だが、槌田紅実が無事なのかどうかも知りたいところだ。あさぎはクミちゃんが自分を助けてくれようとしたことはちゃんと覚えているし。あさぎもクミちゃんを助けようとした。だから、クミちゃんが生きていればいいなと、純粋に願っている。

 ――――ぎゃ、いったあああい!

 散乱したあさぎのどれかが安全靴に踏まれたようだった。

 物思いに耽るにはうるさくて埃っぽすぎる場所。あさぎはここから移動しておかなかったことを後悔する。しかし、移動は出来るのだろうか。この――なにかをするためには人の命を、同族の命を、食いつぶさねばならない身体で、思考以外の行動をすることは正しいのか――?

 ――ねえ、クミちゃん、どうすればいいのかなあああ?

 答えなどあるはずがない。わかってる。人でいるよりは楽な体だけれど、あさぎの中にあるなけなしのちからは減り続けているのがわかる。食われてないのを喜んでも、消えてしまうのは、どうしたってこわい。こんな体だってこわいもんはこわい。

 だったら、悩むまでも無いじゃないか。やれることを、やろう。

 まずそうでも、あれで満ちることはなくとも、今残ったちっぽけな力よりはいいだろう。そうと決めればこの状況は願ったり叶ったりではないか。

 そうと決めたら、早速だ。

 

 ―――― こ―――――――ン

 

「―――――ん?」

 若い作業員が振り向く。音がした気がした。高い音だ。そこにはなにもない。梅本はひとつ首を傾げると、作業に戻った。飛行機でも通ったんだろうと納得した。同時に起きている無数の細かい音には気付かなかった。カチャカチャと彼の周りで音はしていた。けれど、あさぎはちゃんとドリルの音がしている間だけを狙って確実に仕事をこなしていく。

 ――バカなあさぎでもだいじょうぶい。あさぎはバカだけど。あさぎの体はかしこくて、ちゃんとだれがどこにいるべきか、わかっているんだよおおお。

 この空間に散らばったすべてのあさぎが、ずるずるとそれぞれがあるべき場所に戻って行く。

「なんか……動いたっスよね……? あれ……? なに、ツボ?」

 獲物の背後で、ひび割れた冷たい白の刑場の口が開く。

 

             ◇

 

「おい、タケ。今日三人きりだよなァ?」

「へえ――――」

「だよな……ァ……今、何か……」

 ――動かなかったか? と言う言葉を上役・桜井泰造は省略した。

「ドリルの振動じゃね――――ですかね―――ェ」

「ドリルの音、しなくねえか? おいウメぁ! サァボってんじゃねェぞ!」

 ドリルの音はいつのまにか止んでいた。屋内で空調も働いていないはずなのに、なにやら気流が乱れている。床の埃が僅かに舞っている。桜井はダミ声を上げた。僅かに声が震えている。隣の歳のいった作業員の竹座譲吉はこっそり鼻で笑った。

「見てきまさ――ァ」

 桜井に何か言われる前に、竹座は自分から、しゃがれた地声で呟くと、梅本のいる冷凍室に移動していく。竹座の方が桜井より年上だが、竹座はピリピリする桜井から離れる口実ができたとばかりに、若い作業員・梅本大海を捜しに行った。「大海」はこれで「オーシャン」と呼ぶらしいが。現場では「梅」で通っている。経理のババアが「おーちゃん」と呼んで飴玉をくれている姿を見てから、誰も下の名前で呼ぶ事は無くなった。

「梅――ェ、どうかしたか――ァ」

 かつて、冷凍室だったと思しき場所。上にはフックリールがずらずら並んでいる。作業しているはずの梅本はそこにいなかった。

「梅本――――ぉ?」

 水音が聞こえた。水道は止まっているはずだ。しかし竹座は「どっかで水でも漏れてんのかな。まさか梅本め、やらかしたんじゃないか」と考えていた。だが、そんな管をぶっこわしちまいそうな場所での解体をやらせたりするはずがない。ましてや責任を取りたくなくて毎朝怯えるあの桜井はそんなヘマはしない。なんだかんだ理由をつけて、慎重で臆病な竹座にお鉢が回ってくるのが常なのだから。

 では、この水音はなんだ。この目の前に突如出現した、つるつるしてまるくて、味のある壁はなんだ。模様の代わりに罅の入った「人ひとりくらい中に入っていてもおかしくなさそうな」バカでかいものは、なんだ――――?

 ――あ、いけないいい。みちゃったああああ?

「―――――――ォ!」

 竹座譲吉は四年前に喉の腫瘍を取ってから、大きい声が上手く出せない。よしんば、出たとして何と叫んだものか、今となってはわかるはずもない。

 壺は、罅の全てから赤黒い人だった物の汁を滲ませ、うやうやしく仏壇のごとく開帳に至り、そのはらわたをちらっと見せつけて、竹座を射程に入れるとすかさず閉じた。

 あさぎは、自分でもだいぶ上手くなったと思っている。

 ――もーうううう! ひとり食べ終わってからのつもりだったのにいいいい。

 そこにパンも白米もコーンフレークもありはしない。人間だったときと同じように、中で何が起こっているのかあさぎは知らない。シノちゃんのときははじめてだったし、邪魔が入ったから上手にいかなかった。けれど、今となってはふたりだって中に入ってしまえば同じだ。すぐに消化してみせる。あさぎは勇ましく不敵に笑った、つもり。

 ――それにしたって美味しくなさ過ぎじゃないのこのひとたちいい。シノちゃんはこんなんじゃなかったもんん。やっぱり服を着せたままなのがマズかったんじゃないかなああ。でも、あさぎだってオトメなわけですから、おじちゃんはともかく最初の若いおにーさんの服丸剥きしちゃうなんてそんなのはしたないっておもったんですうううううう!

「……た、竹座ァ! 梅本ぉ!」

 誰も帰ってこないのに怯えて、止せばいいのに桜井が様子を見に来た。何か起こると責任問題になるからとのこのことやってきて見事に腰を抜かした。

 ――――んもううう。

 あさぎは揺れてイヤイヤをする。だって、食事はゆっくりとしたいものだ。

 右を見て、左をみて、前を見て小便を漏らしていた。罅から漏れる血や、あさぎの汚い食べザマをまじまじと見られている。「食べながらしゃべんな」ってクミちゃんに言われたので、あさぎはそれからちゃんと飲み込んでから喋るようにしていた、えらい。あと「リスじゃないんだから、詰め込むのやめなさい」とシノちゃんに言われた気がする。これはなかなかやめられなかったけれど、シノちゃんはその一回しか言わなかった。シノちゃんのハの字になった眉をみて、やってしまってから思い出すんだ。 

 ――あーあ、どうして、シノちゃんに言われたことはできなかったのかなああああ。

「ば、ば、ばけものォおおおッ!」

 へっぴり腰で軽トラックの止めてある入り口へと逃げ出す桜井の動きはとてもノロいものだった。大の大人が情けない体たらくだと思った。

「あ! ああッ! ひあああああッ!」

 騒ぐし動くから一気にいけなかった。外に辿り着く前に追いついたけれど、クミちゃんの時みたいに挟んでしまった。

「ひィぎィ――――――――ッ! 痛ェ―――――――!」

 腰から上を取り逃した。かわいそうなことをしたとあさぎは後悔する。中に入れなくては痛みを取ってあげられない。まだまだうまくできない。仕方ないからもう一回だ。開くときに、血糊が貼り付いて若干の抵抗を感じる。醜く逃げようとする上半身は、切断されず潰されただけの皮膚に捕まってもがいていた。

 カッコワルイし、くさいし、情けないし、おいしくない。けれど、我慢して食べなきゃならなかった。モロヘイヤと同じ。なんかドライバーとか色んな物を持ってるから、食べるのに吐き出さなきゃならなくて、噛んで飲み込んだら身体にわるそうで、すごくめんどくさい。

 小学生の給食では、煮物の中に入ったひじきが嫌いだった。それを食べないと遊べなくて、無理矢理口に放り込んだ。あの時みたいに口に放り込む。あの時みたいに、摘む鼻がないけれど、味わいもせずに飲み込んでいく。

 ――まっずいいいいい、もうひとりっ!

 あさぎの身体は勝手に咀嚼し、すぐさま吸収する。他のふたりもそうしたように消化できない物を粘液に包んで上の口から排出する。力が足りたのか、さっきまで治らなかった全身の罅が埋まっていくのがわかった。

 ――あ、戻れそうだああ

 ぐ、と腹に力を入れる。脳から酸素を追い出す。頭の中に浮かんだちかちかの数を数えてみる。ふわふわしてきたら深呼吸。にわかに壺は青い光を纏い始め、その中で粘土のような形状を経て、少女であったころの姿を取り戻した。久しぶりの、本当に久しぶりの色の付いた視界だった。目に入る物で鮮やかな色なんて、血の色しかなかったけれど。

「やっっったあああああああああああああい!」

 あさぎは全裸だった。全裸のわりには肌色が少ないが、それはまだ吐き出す前だった消化できないものが、血糊で貼り付いているからだった。あさぎは平然とそれらを剥がしていく。爪でばりばりと貼り付き渇いた粘液を刮げ取り、大胆にも臭いなんか嗅いで顔をしかめる。そんな怖気の立つ臭いすら逃れる為に壺に戻ろうかとも一瞬あさぎは考えた。

「シャワー、あっっびたいなああああっ!」

 手を逆手で組み、伸びをする。伸びをするとずっと固まっていたらしき身体はばきばきと悲鳴をあげた。そこであさぎはふと違和感を覚え、右手に注視。たっぷり五秒考えたあと、左手を並べてもう一度十秒間目を細めて間違い探し。

「……あっっれえええ、た、たんないじゃーんん!」

 手の平を上にかざしてひらひらさせながらあさぎが愚痴をつく。元からそうだったかのように四本しかない。小指が再生していなかった。

「ええええええ……」

 繋がっていた物が無くなってしまった。あさぎは嘆く。自分を世界に留めてくれていた物を全て失ってしまった。それでも、生きていたいと身体が願っている。だから、余分な部分がないのかも知れないって思う。

 もし、この世界のどこかに、自分の小指が、人だった頃の思い出を持っているというのなら、この化け物の自分は昔のことを忘れて生きて、後腐れ無く生きていけるのだろうか。

 ――きゅるるる。

 あさぎの腹が返事をするように悲鳴をあげた。

「なにそれええええ……」

 この姿に戻ったせいか、なけなしの満腹もとっくに過ぎてしまって、もう空腹が押し寄せてきていた。あんなに食べたのにおなかはぽっこりしちゃくれない。誰もが羨むきっと太らないこの身体で生きて行かなくてはならない。おいしいものをたべなければならない。

「まあっったくううう、めんどくさいよねええええ」

 作業員達が乗ってきたと思しき軽トラックに鍵は掛かっていなかった。座席にはコンビニ弁当があり、あさぎは一も二もなく飛びついたけれど、食べても食べても身体が受け付けなかった。好物のたこ焼きを見つけて、無理矢理押し込もうとしたけれど、全身が拒否するように痙攣し、座席を汚した。吐瀉物は変わらず胃液の臭いがする。

 裸だから服は汚れないで済んだ――なんて思ってから、あさぎは自分の思考のナンセンスに気付く。そう、生きていくなら服を調達しなくてはならなかった。あの夜持ってきていた着替えは誰かが持って行ってしまったようだし、彼らが着ていた作業着はさっき余分を吐きだした時にはもうズタボロになってしまっていた。

「やっぱり、脱がしてからにするべきだったよねええ」

 残念そうに、裸の尻を前ドアで振りながら後部座席を覗き込む。埃塗れで塩を吹くリュックを開けていくと、そのうちの一つに綺麗に畳まれた作業着の替えがあった。

「やった」

 石鹸とタバコの臭い。最初に食べたおにーさんと同じ臭いだ。そういえば、女の人の名前を呼んでいた。一緒に入っていたシャツを着て、仕方ないからパンツは直履きで、裾をいくつも捲る。ずり落ちるズボンのベルト穴を両側に三つずつまとめて、ひも状にしたコンビニ袋で結び、どうにか服を着ているような形になった。

「落ち着かないなああああ」

 財布からのぐっちゃんを数枚抜き取る。ひぐっちゃんも福ッチもいなくてあさぎは非常に残念だった。けれど、こんなダサいナリで店に入って買い物なんてできるはずがない。

「服の自販機とかないのかなああああ!」

 財布はどれもダサいので捨てる。リュックもイケてない。コンビニ袋ぶら下げていた方がまだ見れそうで、今は手ぶらでいる。帽子の一つでもあれば、少しはマシかもしれないのに。

 さて――。

 とりあえずの衣食をでっちあげたあさぎは考える。自分はどこに行けばいいのか。ねえ、シノちゃんならしっている? 「あんた、自分にあてはめて考えてみなさいよ。壺頭だってわかるでしょう」うーんシノちゃんはやっぱりかしこいねええ。でもあさぎはシノちゃんみたいに賢くないから、ねえクミちゃんん。「おまえバカ。バカなんだからシノみたいにうまくいかないのはあったんまえだろ。でも真似してみりゃうまくいくこともあんだろ」そうだねえ。たまにはいい事言うじゃん! 「バカ、いつも良いこと言ってんだろ!」そうだっけええええええええええ? やああああああだもおおおおおおうううううあはははははははははははははははははははははははははは

 

 辺りにはだれもいない。笑っている自分はどれだけ滑稽に見えるだろう。だれもいないのは良いことだ。と言うよりも、誰かが来たら終わってしまうだろう。だって、こんなに悪いことをしているんだ。よかった、パパもママもシノちゃんも、クミちゃんもいなくてよかった。良かったんだ。たったひとりでも、こんなに、こんなにあさぎは賑やかなんだ。

 

 ――行こう。

 

「――ゆびきりいい、げんっまん」

 

 透明な小指を、空に差し出す。

 

 

 作業着のポケットに輪ゴムがひとつ

 後ろひとつに髪を束ねて

 

 少女は

 死から逃れ、死の懐へ

 

 

 

〈ペイル・ペリセイド 続〉