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X チョコレート・ゲート/8

E 片岡千代子 B 真田瑛子 F 槌田紅実 G 壺井あさぎ 9 チョコレート・コレクト

チョコレート・ゲート/8

 

 片岡千代子は壺のアタックを逃れていた。壺に絡んだ蔦を見てすぐ、鉄骨ばかりの倉庫上階に陣取ることを決めた。

 冷凍倉庫といっても高さがそれほどあるわけではない。千代子はその中二階とも言うべき場所から冷気が供給されているのを見つけた。自分の能力を信じ、それを発揮させるべき場所をそこだと定めた。

 壺と蔦が争い、そこに槌田がちょっかいを出して居る間に。ドアを閉め、サプライエアダクトの前で準備を整えていた。

「――――あ」

 先輩だった。千代子の方を見ていなかった。壺に蔦を生やして束縛し、刃物をふりまわす槌田をあしらい、拘束し、やがて、以前とはまた少し違う姿を現した。

 ――ああ。

 千代子はそれに見とれてしまっていた。その姿もキレイです。だなんて、口に出して悦に入っている。いけない、そんな場合ではない。千代子はこんなこともあろうかと、か細い糸を掴んだ時の為の準備をちゃんとしてやってきたのだから。それを活用するのだ。

「――チヨコ! それはどんなアソび?」

 この世のものとは思えない姿の先輩が、千代子に声をかけた。

 釣られて、全員の目がこちらを向いた。全員。というのは先輩、槌田紅実、そしていつの間にか人の体と化した――いや、力尽きて戻ったのか――壺井あさぎだ。なんにせよ、あさぎはその姿になることで蔦から逃れていた。その視線の量に、千代子は臆す。

 ――こんなの、聞いてない。

 想定した取引は、先輩とだけのものだったから。ギャラリーがいてはうまくない。

 先輩は蔦の渦の中からチヨコを見据え、口角は上げたまま眼力を乗せて千代子に告げる。

「――キミも、ボクに抗うかい?」

「あ、抗うなんてとんでも、ありませんっ!」

 尻尾を振って、なんでも言うことを聞く肉の奴隷を望んでしまいそうな全肯定を口にする。もはや、この勢いで告げてしまえば、受け入れられるような気がした。手前勝手な快楽主義を、一時の気まぐれの隙間に滑り込ませるタイミングは、もしかしたら今しかないのだ。

「――いいですか、先輩。あの、お話が、あります。よく見てくださいね」

 腹を抱え、両脚を開いて大地を踏みしめ、クラスメイトの視線を丸シカトすることを決め、借り物のスカートをゆっくりたくし上げながら千代子は重い決意を発露する。

 こんな忌まわしい体にしてしまうような大悪党に遠慮なんか要らない。その前にした決意を、ちゃんと、果たさなければならない。ここまで来た、意味がなくなってしまう。

 帰る場所なんか、最初からありゃしないんだから。

「――うぇ?」

「――――?」

 スカートを上げてみれば簡単なことだった。観客は多い方がいいと思えた。もっといたって、この倉庫の肉全てが、観客だって構わない。千代子は襟元にたくし上げたスカートの裾を止め、マグライトで自らの股間を照らした。

「――かっ! か、片岡、なん、なん、それ」

 蔦に束縛されたままの槌田が頓狂な声を上げる。

 槌田の言葉に千代子はガン無視を決め込む。今やっていることは、槌田も、あさぎも関係ない。これは千代子と先輩の取引なのだから。

 千代子がたくし上げたスカートの内側は黒いラテックス製の下着になっていた。それは中心が円柱形に盛り上がっている。見る人が見ればそれは、中に振動する淫具などを装着して愉しむ女性用の拘束具だと一目瞭然だったろう。

 あさぎはわかっていないようだが、槌田はなんだかわかってしまったようだ。このセットは、寮に忍び込んだとき、鷺沢委員長のロッカーで見つけた。というより制服の入った紙袋と一緒になっていたのだから、真面目な彼女の隠れた趣味に想像の余地はおのずと広がってしまう。

 そんなことは千代子にとってはどうでもいい。先輩は――先輩は平然としている。その一挙手一投足が、千代子にとって重要なことなのだ。

「――それが、どうかしたのかい。チヨコ! あの電車のミダらがワスれられなくて、そんな慾にオオせてしまったのを――わざわざボクにロウするために?」

 そんな言葉で千代子を挑発する。

 千代子はそれに対し、ライトの前に卵形のスイッチを取り出し、先輩に告げる。そのスイッチは明らかに、今千代子の内側に入っていると思しき淫具を始動させるための電波を発信する装置に違いなかった。

「――スイッチを押すと、どうなるか判りますか? 先輩」

「――チヨコが、タッしてしまうのかな!」

「正解です。でも三十点ですね」

「ボクは、チヨコの魔法のことをゾンじているのに?」

「はい――取引しましょう。先輩」

「あはは、どんな?」

「私はこのスイッチを、差し上げます」

「なるほど、チヨコは電車のことがよっぽど気に入ったんだ! でもキミは取引とコトす! ならキミがモトめるのは! ノゾむのは、どんなタノしみなんだろう!」

「はい――先輩からは――私に……あの……な、な」

「な?」

 千代子は羞恥から顔を赤くした。それは淫らな格好をしていることが主因ではない。そんなことを聞くためにこうまでして、なんてばかな女なのだろうと笑われるのが、こわくて、はずかしくて、どうしようもなかった。けれど、叫ぶために息を吸って、そのまま。

「――――な、名前、教えて、下さ、い! 先輩ッ!」

 聞いた。あたりまえだ。このために来たんだから。

「あはは! あははははははは! これは、これは傑作だ!」

 倉庫の中に哄笑が響く。取引として成り立たないのは千代子にもわかっている。これは――これも、賭だった。ここまで上手くいったのならダブルアップの成功を信じるしかなかった。なによりも、それを手に入れる為だったんだから。

「せ、先輩は――今、魔法を使われたくない筈ですから。だって、だって、私に捨ててしまうくらい、これは邪魔だったんでしょう? これは、先輩にとって、どうしようもない、毒のはずなんですから! だから! 言うことを聞いて下さい!」

「――あはは、チヨコ。いいね、サカしらをノゾむなら、ボクはそれを尊ぼうじゃないか! そのイサみに敬意を表して、ボクから支ハラいを済ませようか――!」

 先輩は蔦を数本残して収納していく。黒いセーラー服の姿で浮いて、千代子の隣に降りる。

 解放された槌田は肩で息をしはじめた様子のおかしいあさぎの元に寄り添っており、痴女と変態のショーに興味はないようだった。千代子にとってはもう、その方が良かった。

 先輩はスイッチを持った千代子の手を握り、そのまま口を耳元に近づける。

「――真田瑛子」

 ――さなだ、えいこ。

 もうそれを耳にしただけで宇宙に上っていきそうな、千代子の恍惚の顔だった。鼓膜を震わせたのは、まごうことなき先輩の名前に相違なかった。ずっと待ち焦がれ、五文字か四文字か三文字か想像し続けて、含む濁音を幾つまで許すかの会議を開催し続けて、ようやく聞こしめした思い人のお名前だった。いっそ、そのまま宝箱にしまっておきたいくらいだった。

 ――やった。やっと名前教えてもらえた。まあそんな言ってしまえば普通の名前なんですからはやく教えてくれればよろしいのに私はこんなかっこうまでしてこんなことまでしてくろうしてきかなければならなかったのかしら。ああもうそんなことよりフヒィーやーだ私ったらはしたないなんておよびすればいいのかしら。真田様? 瑛子様? さなえー? ちょっとかわいさを出してさなP? なによそればかにしているのあなた瑛子様を! ああ、やはりこれがいいわ、瑛子様瑛子さまえいこさまえいこさまえいこさまえいこさまえいびいいいいいいいいいいいいいいいああ口に出してみたいこのお名前びいいいいいいいいいいいいいいなあにちょっと誰ですかやかましいんじゃありませんか人の体のなかで。え? 

 び――――――――――――― ン

 千代子がまんまるな目で真田瑛子を見ている。そこには端正な顔。緑青の髪。黒いセーラー服のスカートからはいっぱい蔦が生えていて、どうやら意識通りに動かせるらしい、素敵。そして今手を繋いでいただいており、その中には千代子が魔法を発動させるためのスイッチがあって、それを押されると千代子の××××の中に入っているぶるぶるでちょめちょめなピンク色の某がコンマ三六パーミニッツで振動しだすわけで――。

「――何でオンになってますか?」

「――だって、好きにしていいんだろ! チヨコはえっちだなあ!」

「え、だって、瑛子さまはそれ、この魔法がふあ、ふあ、あ、あ、あえーこさ、あ、ふあもう、私、あっ、あっああ、ひ、い、い……」

 ――だって瑛子様は、この魔法が毒で、困るから、私をゴミ捨て場にしたんでしょう?

 言葉にならない。今こんなものが発動してはまずい。マジメに填めてしまった貞操帯はなかなか外せず、中のそれも、鷺沢の趣味なのか言葉ではとても表現できないくらい縦横無尽に動いてたまらない。そして、瑛子が手を繋いでしまっている以上、物理的に快楽を引っ張り出すそのスイッチを離さない以上。もはや千代子の魔法が暴れ出すのを止めるものはなかった。

「あはは、チヨコはごうつく張りだ! ボクはキミがノゾむものをほんの少しだけどユズってあげたんだ! なのに! キミは脂をマブした蛸みたいにキミの財布にしまいこみたがる!」

「ちが、違います! くれてなんかいないじゃな――! ひ、あ、ああああ、もう、あっ」

 足ががくがくとする。ライトなんかとっくに落としていた。

「いけません、だめ、逃げて!」

 チョコレートの、靄が。

「キミはボクにユズられたままじゃない――こんなに――シメってきているじゃないか!」

 車内や公園で発したような薄いものとはちがう、煙幕レベルに濃い桃色の蒸気が、冬のニューヨークの路上か、忍者映画の煙幕か、それくらいの勢いで千代子の中から発せられた。

 それが千代子に瑛子が捨て去った魔法だった。心を乱し、淫す。瑛子がその魔法にこっそり付けたその名前は『燃え焦がる無差別の愛(チョコレート・ゲート)』――。

「あっ――あ――――ぃっ――――」

 千代子は自分の身体を抱く。吸った者を淫心に導くこの魔法は、呼吸するものすべてにその影響を及ぼす。術主であったとしても、いや、術主であるからこそ、よりいっそうの悦楽で宿主を充足させ、服従させようとする。

 大気に噴き出すように拡がっていく。イチゴ牛乳を水槽に零したらきっとこんな風景が広がっていくだろう。サプライエアダクトの前で、閉め切った倉庫の中で、空気より僅かに重いその靄はあさぎと槌田のいる地上にも容赦なく襲いかかる。

「――な、なんだこれッ!」

「クミちゃんッ!」

 下階から悲愴な声が上がる。濃いその靄は視界を完全に殺していて様子はわからない。

「あはは、これは仕様がないね!」

 ――そりゃそうだ。と千代子だって思う。こんなものがめくらめっぽうに噴出されても、教室でいかがわしい書物を眺めるしか能のない想像力豊かな男子どもを喜ばせるだけだ。

「達しっぱなしなのかい、チヨコ!」

「え、瑛子さまあ! ごめんなさい! こんな、こんなつもりじゃなかったんです!」

「なんだい、チヨコ! ボクにどんな詫びをハイらせるつもりなのかな!」 

「詫び……えっ、あっ! わ、私を、連れて行って! くださ――ひッ!」

「ぶふぁ」

 瑛子が、鼻から漏れる変な声を出した。様な気がした。そんなことにはおかまいなく千代子は続ける。自分を苦しめるべく握られた手を離れないように、握りしめる。

「そ――そうでないと、私はずっと、これを出し続けますからッ!」

 千代子のもはや理路に外れた激情に従って靄が濃くなる。けれど、これは瑛子に対しての脅迫になるはずもない。冷静に考えなくたってわかることだ。最初から取引にすらなっていない。この呪いを、祝福を譲られた自分が一番良く判っているのだ。

「あはは、だったら、なおさら連れて行かないほうが良いじゃないか! ボクが既にシャしているものを! キミはボクにヒロえというのはどんな道で理だろう! 色にオボれた人形を連れゆく道にタノもうというのかな!」

「ち――ちがいますっ、ふあ、ふあああ、また、また―――――くる……んんッ! ンッ!」

 千代子はもう何度も、何度も、何度も達している。その度に血管が焼き切れそうになる。瑛子はこの魔法を嫌ったわりには、この靄の中、平然と千代子の手を握っているように見える。

「ボクはもう行くよ――。おなかもすいてきたことだ!」

「まって――、拾って欲しいのは魔法じゃありません――私が」

 そんな混乱だけを主張して、得られるものなんて、あるものだろうか。

「――私、を――――ッ!」

 二度目の主張は、だから途中で消えゆく。手に力が入らない、このまま離れたことにも気付かずに、空気のように、靄のように解かれてしまうのか。

 ――いや、いやだ、いや――おいていかないで!

 瑛子はそこで、響く。

「あはは――! チヨコ! それはいい手だ! ハカらずもタエる一手だ! それでこそボクがユズった甲斐があるんじゃないかな――! そのノゾみが!」

 ぐっと、手が握り返される。これなら、離れない。千代子が破顔する。千代子はあの日の、帰り道の、ずっと繋いで汗ばんだ手と、やっと手を繋いでいる。

「先輩――ッ!」

 だから、少しだけ戻る。瑛子はそれを聞き逃さない。

「それはタガえだね、千代子! キミがヨドませた靄をヌグって! ボクをサケぶんだ!」

「ああ――」

 千代子は置いて行かれなかった。自分が持てる全てを動員して、見捨てられるわけにはいかなかった。糸が細くても、なにがなんでも。賭に勝った。でもきっと、まだ罠が、いくつもの意地悪な罠がこの先には潜んでいるはずだ。千代子は絶頂の中で、その絶頂によるきらめきすらも利用して、頭を回転させる。望むものを考える。

 ――私が望むものと、あなたが、望むもの――。

 手が解かれる。

 顔を上げると、抱きとめられた。役目を終えた貞操帯は振動体ごととっくに抜け落ちていた。

 答えは出ている。千代子はその口を開く。魔法に惑わされていようと、利用されていようと、何であっても構わない。ここに――望みがあるかぎり――祈りや呪いなんて不確かなものではなく、この愛しさを達成させるのに、この名を呼ぶことを――

 

 ――厭わない。

 

「す、好きですッ! 瑛子、ちゃん――ッ! きゃ―――――――――――ッ!」

 

 面を上げる。千代子は、その時の瑛子の笑顔を忘れないと、誓った。 

「ああ、ああ! エラんだのはボクじゃなかった! かといってキミでもない! ボクらは等しくタガえてしまった! ボクは常にエラんでいるつもりでいた。オゴるボクすらもボクらだった! キミはエラばれたよ――――千代子っ!」

「あ、ああ――」

 千代子はその言葉を、告白を聞きながら気絶していく。その背中を瑛子が蔦で抱きとめる。大事な首はみずからの手で。チョコレートの香りをさせた禍々しい人騒がせな靄は、あるじの失神を知って、収穫もそぞろにざわめきながら千代子の元にずるずると帰っていく。

「――あは、ボクも今日はだいぶツカれた!」

 瑛子は千代子を抱えて独りごちる。いや、それは独り言ではない。愛し合う二人の他に観客が二人いたはずだ。靄に巻かれた魔法少女と、ただの少女が。

 

 

 ――――コ ―――― ン

 

 靄が晴れていった。

 千代子はまたぐらと口元からあらゆる汁を垂れ流しながら、瑛子の指先に包まれてすうすうと寝息を立てている。その音を邪魔する甲高い音が響く。

「あはは、なぜキミはトンじなかったのかな! あの靄の中でマギれることも! ボクらのどちらかを食らうことだって!」

 一度落ちたはずの壺が再び、宙に浮いていた。

 こ ――――― …… ん

 壺の発する音は先程と比べてもはや弱々しいものだった。艶も褪せているように見える。浮いた壺の底から血が滴っている。点々と続くその先に、少女の足が見えた。腿から先に続く胴体は離れた場所に落ちてうずくまっている。

 瑛子はそれを見とがめる。こころなしか声が冷たく響く。

「それは、キミのともがらではなかったのかな? キズつけるだけでナガらえることもカゾえられないキミをミトめることはできない! けれど、カレもそうさ――キミのこと、そんなにキラいじゃなかったんだろ? カカわらずにいたかったけど、キミとボクらを取り持つ半身がサケぶから、ボクは生きる為に、キミを食らおうじゃないか!」 

 瑛子は蔦を一本、螺旋を描かせながら自らの周りに巡らせて独りごちる。瑛子はあたかも前からの友人であるかのように壺に語りかけている。瑛子の周りを巡る蔦はいつの間にか二条に増えている。それは四条に、八条にその数を殖やしていく。

 壺はそれに応じる風も無く、コーン、コーンと鳴くのみ。

 蔦が巡る。幾条も巡る。それはいつからか倉庫全体を覆うように駆け巡り、壁も、天井も、床も、緑色に染めてしまう。まるで、最初からここはそうだったのだと、はじめからここは、彼女の腹の中だったのだと言わんばかりに。そして、名乗りを上げる。

「――ボクは、真田瑛子だ。キミは?」

 

 ――――― こ ―― ん

 

 力弱く、しかしはっきりと通る音でひとつ壺が鳴く。まるで、会話が有るかのように。

「あはは。そうか、ならばさいわいだ! ボクも欲を張るとしよう! イノるかな! サケぶかな! 輩とボクのなかにシズむのか――さあ、エラぼうじゃないか!」

 宣戦布告は済んだ。真田瑛子はあの少女が宿した異能をその指先に宿らせ、圧縮した冷たい空気を無数の槌に仕立てあげ、目の前でただ嘆き続けるだけの、無能で鈍足極まる力尽きかけた壺に目がけ、ただひたすらに叩きつけていく。千代子をその腕に大事そうに抱いたまま。

 

 魔法少女たる、そのために