T ブラックスミス・スクラブル/4

ブラックスミス・スクラブル/4

 

 槌田紅実は倉庫の建ち並ぶ場所にいた。

 指定された場所は倉庫だった。名前を聞いたことがないけれどどうやら食肉業者の冷凍倉庫らしかった。

「……やっぱハメられたんじゃねえかなあ」

 槌田は頭を掻く。セキュリティ会社のシールがそこらにギラギラ貼られていて、勇んでやってきた槌田のやる気をはなっから折って回っている。着けばもう十時半近くで、だいぶ暗くなってしまった。迷走するメールの場所指定に翻弄され、お陰でずいぶんと歩かされた。

 やっぱり帰ろうかと挫けかけたとき、またメールが来た。

 ――ここの倉庫はセキュリティがかかっていません。

 ――シールだけなので安心です。G倉庫です。

「……マジかよ」

 並ぶ倉庫。月明かりと携帯の光を頼りに歩く。セキュリティがないとかいうのは本当なのかわからない。けれど、警備員の姿ひとつ見あたらなかった。

 槌田は背筋に薄ら寒さを感じる。背後に視線を人の気配を感じて振り返るけれど、そこには闇があるのみ。携帯の光を向けても何も見あたらない。奥歯を食いしばっても、「尻尾を巻いて逃げ帰り、布団を被ってガタガタ震える」が第一希望に踊り出てしまう。

「ま、ここまで来ておめおめ帰るのも、なんだしな……」

 下唇を噛んで、なけなしの勇気を振り絞る。この世ならぬ者の存在がこの携帯の光がとどかない夜の闇の向こうにいる気がして仕方がない。デカい長方形のケーキ箱みたいなコンテナ倉庫が威圧感たっぷりに並んでいるのもまずい、その隙間になにかがいる気がしてしまう。

「どれが……Gだって……?」

 ――みっつだ。

 槌田は先に決めてしまう。みっつ。みっつさがして、G倉庫とやらが見つからなかったら帰ろうと槌田は自分に約束する。人気のない闇の中、最初のコンテナ倉庫の壁を探る。

「……あちゃ、ビンゴ」

 引き攣った笑いが出る。悪運だろうか、月明かりの中に浮かぶGを早速引き当てた。念のために隣の倉庫も確認してみると同じフォントのFがいる。どうやらこれで、間違いなさそうだと思った。指示をくれていたメールはもう来ない気がした。この中にいる。

「なんだ……鬼が出るか……蛇が出るか……ってか」

 ゆっくりと倉庫の鉄扉を前に押す。

「……あれ」

 開かない。では、と後ろに引いてみる。

「おいマジかよ……鍵かかってんじゃねえのか……」

 隙間からは薄く灯が漏れている。罠にしろ、招待されているにしろ、客が来ているんだから錠前くらいは開けておくものじゃないのかと悪態をつく。最初は音を立てないように試していたのに、いつのまにか槌田の頭には血が上ってギシギシと音を立ててしまっている。だから、槌田は後ろから忍び寄る気配にまったく気づいていなかった。

「……それ、横にスライドさせるのではないの?」

「ゃ――――ィひイッ! ――!」

 この世のものとも思えぬ声が槌田の頭から出た。腰を半分抜かして膝をすりむきながらFのマークが付いた倉庫の方へ体をゴロゴロ転がしていく。転がりながら槌田は考える。――なんだ、いまのなんだ。今の声、何だよチクショウ。やっぱり罠だったんだああもう大人しく警察に相談しときゃ良かったん――。

「ちょっと! あなた! 静かになさいよ……!」

 ――静かにだとちくしょう! ああ、やっぱり口を塞ぐ気だな! この世のものでもないくせに……指定革靴なんか履きやがって! ――……。

 槌田は毒づき、暗闇を倉庫外壁のトタンにぶつかりながら歩いていく。その中で自分が怯えているものの歪さに気付く。それはこの世ならぬものでも、警備員でもなかったのではないか。証拠に、どこかで聞いたような声を掛けてきたではないか。指定革靴なんか、履いちゃって。

「あなた……槌田!」

 呼ばれて振り向くと、下側から光に照らされた少女の顔が闇の中のちょっと高いところに浮き上がっていた。暗闇の中でよくあるイタズラではあるが、今のビビり若干入った槌田にはちょっと刺激が強いところに刺さった。角度がともかくまずかった。アオリでちょっと顔を前に出したところだったから、生首が闇の中で浮かんでいるように見えてしまった。

「あっ、ひっ、あ――――ッ!」

 槌田はもはや泣きそうになっていた。あーばかあんぽんたんとーへんぼくやっぱり化けもんじゃねえかアホーッ! を悲鳴に乗っけたつもりになり、この上は舌を噛んで化けて対等の立場になってからタイマン張ろうと考えるに至ったところで、がっしと肩を掴まれた。

「ちょっと……! いい加減に落ち着きなさいなっ」

 そいつの懐中電灯が落ちる。明かりに照らされればわかる。それは見たことのある顔だった。

「――お。お前ッ! か、かか、かっ、片岡!」

「ご挨拶な反応ですね……」

 片岡千代子が、ご丁寧に制服で立っていた。槌田は今までビビっていたことなどどこ吹く風で跳ね退き、片岡をぐっと睨み付けた。

「……ふん」

 千代子はそんな槌田に鼻をむけると、落ちた懐中電灯――マグライトを拾い上げて、くっとひねって消してしまう。

「わ、わ。なにすんだ」

「別に、なにもしはしませんよ……あなた……意外とおビビりさんなんですね……。存じませんでした」

 そう言ってマグライトを再点灯、小馬鹿にしたような片岡の顔が浮かぶ。

「――うっせ」

 ――そんな顔、できたのかよ、お前。

「シッ!」

「ンだよ!」

「聞こえないのですか? 足音!」

 片岡は押し殺した声で槌田を制止したあと、すぐさま槌田の手を右手で引いて、倉庫の切れ目に駆け込み、マグライトを消し、さっきまで二人がいた場所に顔をゆっくりと覗かせる。その一連の動作に槌田はぎょっとさせられる。

「お前……」

 槌田は片岡に声をかける。

「何ですか……今、音立てない方が身のためですよ……」

 たしかに片岡の言うとおりだった。音と光が近づいてくる。

 じわりと近づいてくる誰かの気配を探る片岡の横顔のあたりを、慣れてきた目と月明かりで眺めながら槌田は「あれ、なんでこいつのこと嫌ってたんだっけ?」なんて気分になっていたし同時に「こいつ、こんなんじゃなかったよなあ?」という感想も抱いていた。

「おまえ、ホントに片岡か?」

「……どういう、意味? ああ……生きていれば、変わるものではないかしら?」

 抑揚はない。表情は判らないけれど、また鼻で笑われたような気がした。

「あのさ……おまえなのか? その、殺したの」

「――私は、まだ。しッ!」

 否定。そして空気を吸う音。「まだ」ってなんだよ。

 槌田は壁の向こうを下から覗き込む。光が見える。老いた警備員が首を傾げながら見回りをしていた。懐中電灯の光をちらちらとさせて戻る途中。老警備員はさっき槌田が開けあぐねた扉の前でふと立ち止まった。

 そこは警備員たちにとって特に気にするべきでない場所。開いていようが、閉まっていようが、明かりが付いていようが、特に管轄ではないから責められはしない。だが、老警備員は立ち止まり、しばらくぼうっとそこに立っていた。

「……あの扉、開いてるわ」

「……閉まってたじゃねえか」

「横に引けば良かったんです。」

「……あ、そういうことかよ」

 槌田は自分の顔が赤くなるのを感じる。ここが暗闇で顔を見られずに済んで良かったと思う。

「なあ、尾けてきたのか、おまえ」

「そうよ……あなた、本当に気付かなかったの? あの人、入ったわ。何故ここに来たの?」

「お前こそ、なんでだよ。あたしは、その、呼ばれたから――」

「! ――だ、誰に……ッ?」

 通路を見ていた片岡がすっとこっちを向いた。表情が判らないほどの暗闇なのに、槌田はその眼力に気圧されているような気がした。だからつい、そのままのことを喋ってしまう。

「つ、壺井に」

「壺井……ああ、壺井さん……? そう……あの子」

 片岡の声色に今までのものとは違う柔らかさが浮かんで、少し訝しげな色を混ぜて消えた。加えて期待とは違う答えに対する失望の色が見て取れる。

 槌田はその反応に意外さを覚える。

「あの日、一緒にいたんだろ? 」

「そうよ……ここに壺井さんが居るの? それなら、好都合ね」

 どうして、当たり前の事を聞くの? と、これ以上話すことはないと言わんばかりの口調だ。

「好都合って、なんだよ」

「壺井さんには用はないのだけれど……いいえ、あなたに話す必要がないわね」

「……ああ、そうかよ。ほんとシンキくせーなお前」

 片岡と会話するのは癪だったが、もうひとつだけ聞いておかねばならないことがある。

「なあ、中村のことは? あそこに、居たんだろ?」

「――知らないわ」

 逡巡があった。それが「そんなヤツ知らない」なのか「どうなったか知らない」なのか「とても言えない」なのか槌田には判別が付かなかった。

「……ねえ、おかしくはない?」

「何がだよ」

 槌田は、目の前にいるこの片岡千代子の変貌こそおかしいと思っている。そういやさっき槌田の手を掴んで走った。こいつはいつも他人とかそういうのに触れることすら怖れて、びくびくと生きていたではないか。アルコールの入った小瓶を、持ち歩いてたではないか。

 それが今は、まるでイキイキしているように見える。

「あの警備員、出てこないわ」

「中、全部みているんじゃないのか……? 結構広いんじゃねえか」

「はたして、そうかしら」

 すっ、と扉の方に歩いていく。

「おい」

「確かめるだけよ、あなたは来なくても良いわ。だって、まだ生きてるんでしょう?」

 片岡の手でマグライトが再灯させられる。片岡はこっちを向いている。凛とした、思い詰めたような表情で。その顔で『まだ、おめおめとおまえは生きているのか』とそう言われたような、気がした。友人を失って、まだ。

 じゃあ。

「な、なあ、片岡」

「なに、あなたもう――帰ったらどうですか? 呼んだ人はここに居なかったのでしょう?」

 面倒くさそうに片岡は振り返る。マグライトの灯が足下を照らす。槌田の足は震えていた。弱さを照らしてなお平然とする片岡千代子が凛々しくて、だから悔しくて震えている。

 槌田は片岡に尋ねる。うつむき加減で、頭を垂れて。

「いま、どうしてるんだ。お前……」

 片岡も失踪していることになっているのだ。ただ、失踪届も出ていないと刑事は言っていた。だから気になった。気にしようと思った。こんな性格の悪いヤツ、誰も気にしてくれるヤツはいないのではないかと、槌田は思ったんだ。

「それが、あなたに何の関係が? 」

 瞬殺だった。振り返りもされなかった。本当になぜそんなことを聞いたのか後悔する。もっと重要な事を言うのではなかったのか。片岡は返事をするのも無駄だったと言わんばかりに小首を傾げ、疲れたように息を吐き、そこで満を持して綺麗に回れ右をした。

 その溜息の付き方だけは、以前の片岡と似ているような気がして、すこし槌田は笑む。

 俯いた首を上げると片岡はもう、開きっぱなしのG倉庫扉前に差し掛かっていた。つばきをひとつ飲み込んで、槌田は片岡を追いかけた。

 

「血の臭いが、するわ」

 

 片岡の押し殺した声。タイミングはきっと最悪だった。横にスライドして開いていく扉の中では、趣味の悪いグロテスクな演劇のクライマックスがまさに上映中だったのだ。 

 肉の潰れていく音がして、すり切れた皮膚と、苦悶の表情が渦巻く陶器に飲み込まれていく。

 

 

 大きな白い壺が、人を食っていた。