S ブラックスミス・スクラブル/3

ブラックスミス・スクラブル/3

 

 あの日から、槌田紅実の周りは静かになった。

 

 事実だけを述べるならば、白中、学内の血の海の中で全裸の女子高生が倒れていた――。これだけでワイドショーは総動員だ。それに加えて、その血は誰のものかわからない。時を同じくしてその女子高生と関係の浅からぬ同級生・中村紫乃が失踪している。猟奇的でミステリアスな事件が憶測と嬌声をまぶされ、無責任な喚声が響いていた。

 中村紫乃をその現場にいた者以外で最後に見たのは槌田紅実だ。事件直後錯乱状態だった壺井あさぎは一旦自宅に帰されたものの、その翌朝家族全員がまるごと消失した。大量の血液で部屋は真っ赤だったという噂。あさぎの自慢する三人きりの仲良し家族のうち、二人分しかDNAは検出されていないという。廊下の状況と酷似していることから、目下警察はあさぎの行方を探している。監視が甘くて責任問題にも発展しそうだと刑事がベラベラ喋っていた。「あさぎはバカだし、そんなことできるはずねーだろ!」と紅実は叫び、取り押さえられた。

「じゃあ、クミちゃんはさァ」「その呼び方やめろや、オッサン」「失敬、じゃあ、誰が友達を殺したのかなぁ?」「そんなの……あいつだよ! あいつ! 片岡!」「ふーん、本当に?」

 あいつがいかにいけ好かなくとも、こんな怪奇事件を起こせるようには思えなかった。

 その夜、当の片岡千代子も消えてしまった。時を同じくして、彼女が身を寄せている遠戚の家の近くの公園で、先日隣町で起きた野外乱交パーティー騒ぎとよく似た事案が発生した。その片岡千代子の見張りに付いているはずの刑事がその現場で下半身丸出しにしていたもんだから、捜査本部は大苦笑中ということだ。詳しく聞いても刑事はニヤニヤするばかり。

 片岡千代子はもとより他人と接触が薄かったためか、事件後、あらぬ噂を立てられていた。しかし、噂ばかりで彼女についてはどうも報道があさぎの件がセンセーショナルなこともあってか、他人に比べてぼやけているように感じられた。

 結局、噂ばかりが暴れ出す。事件の朝、電車の中で――その――かなりいかがわしい行為をしていたとか。そしてそこにはあさぎも居たらしいこととか。この辺りのいきさつはよくわからない。その電車はあさぎが全裸で見つかった二時限目よりもだいぶ早い――ダッシュせずともどうにか間に合う朝のラスト一本だったし、それに乗り合わせた乗客はこぞって肝心なところをぼかして他人事のような供述を繰り返すばかりだったという。

「は――……」

 槌田紅実は行き詰まっていた。ポテト菓子をついばみながら、溜息をついていた。

「ん?」

 携帯電話が震動した。知らないアドレスから、題名のないメールが届いた。

 ――クミちゃん?

 舌打ちをして即座に閉じる。まったくタチの悪いいたずらだ。だが「クミちゃん」はアタリである。そこに敬意を表して槌田は渋い顔のまま、ベッドの天井に足を伸ばしながら「誰?」とたった二文字の返信を決める。予想に反して、返事が来た。

 ――壺井あさぎです

 槌田はもう返事をしなかった。けれど、続きのメッセージは続々と届く。

 ――いろいろ、あやまりたいことはあるけれど

 ――いまからいうところににきてください

 あさぎのメールがこんなテンションであるのを槌田は見たことがなかった。だから偽物と断じることもできた。あさぎがしきりに「クミちゃん」と呼んでいたことは、誰でも知っていることだ。だから、例えば、この騒ぎの渦中で唯一「生き残っている」槌田を追い詰めたい奴が居たとしたら――こんなメールを出してくるかもしれない。

「はー……そんな暇なヤツ、いんのか?」

 それに、クラスとか学校の中にそのイタズラの主――もしくは主犯がいて――その上でこのメールを寄越すとしたら、きっと槌田が学校にいる間にだ。反応が見えなければ、こんな悪戯はつまらないに決まってる。

「一番良いのは、警察……か」

 ニヤニヤ笑いの刑事を思い出す。癪だが、あのおっさんにこのアドレスをくれてやれば、持ち主を割り出してくれるのではないかと思えた。

 だが。槌田は思い直す。中村のからっぽのメールを思い出す。あれが、本当は空ではなくて、もし、中村のまわりくどいSOSだったとしたら――。

 実は、その事がずっと、後悔になってこびり付いていた。中村が消したペンケースは返ってこなかった。大した物が入ってたわけではない。でも、あれを「まあいいや」と軽んじてしまったがために、中村は消えてしまったような気すらしていた。

「……しゃっ」

 時計を見る。午後九時。ここからは不良の時間だ。

「上等だろ……」

 窓の外を見る。昨日まであからさまに隠れることなく槌田家に貼り付いていた黒いクルマが停まっていない――。好都合。

 槌田は準備もそぞろで、家を飛び出した。

 その後ろからひたひたと忍び寄る影に、気付かずに走る。

 

 その影も槌田も知らない。

 電子機器を一本指でおっかなびっくり扱う真田瑛子が、電柱の上を舞っていることを。

 月明かりの下に巣を張って、楽しそうに笑っていることを。