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K パーニシャス・パープレックス/3

パーニシャス・パープレックス/3

 

 階段の踊り場、中村紫乃の目下には昨夜の黒セーラーがいた。「昨夜は」黒セーラーだったそいつは、紫乃たちと同じ制服を着て不敵にシャボン玉遊びをしていたのだ。

「同じ学校だった――なんてこと、あるはずないよね……」

「どうかな! 意趣をカエしにきたとゾンじているのかな、キミは!」

「――なにか、用?」

「キミこそ! ボクは(あぶく)を吹いているだけだから、気にせずにここをトオればいい! ボクらこそ満ちてなくとも、キミの虚とクラべて、共にタオれてしまうのをノゾむのかい!」

「わっかりにくい言葉使い勘弁なんだけど……なによ、休戦しようって、こと?」

「あははぁ。サツするキミは賢だねえ! 昨日シツしてしまったのは惜しかったよ!」

 自分たちと同じ服で、笑った。ご丁寧に名札を付けていたけれど、そんな珍しいもの付けているのはまるで自分で自分を侵入者だと自白しているようなものだ、それに。

「それ、名前書いて無いじゃない。あんた、何なの、名乗りなさいよ」

「キミは礼儀をベンじないのかな! これはキミらの上級生の証だとオモったけれど!」

 三年を表わす藤がプリントされている。そんなものは飾りだ。

「そんな、購買で百五十円出せば買えるものを信用しろっての」

「あはは、購えるものはすべて安物じゃないか! しかし、昨日のキミはもっとカマえていたね! キミをハバんでいるのは、何か! そう、キミは空腹なんじゃないか!」

「昨夜あなたと遊んだ所為で、ずいぶんとお腹減っちゃってさ。さっきもハムをまるごとね」

 沈んでいるところにやって来た敵は、つかみ所のない言葉で紫乃の弱みを正確に指す。

「あはは、生きていくつもりなら、慣れなければいけないよ。そして、(ともがら)を狩ることをオボえるんだ! そうすればすぐにシビれてくるよ! ボクらのように!」

「狩る――って、何よ。あっ! ちょっと、逃げるの?」

 シャボン玉の向こうで唇に触れる動作を見せたかと思うと、煙のように消えてしまった。威勢の良い言葉の裏で、紫乃は胸をなで下ろし、また、残った単語を噛みしめる。

「――なんなのよ……」

 紫乃は自分の鈍感さにふと気付く。なんでこんな状況を受け入れてしまっているのだろう。さっきまであの女がいた踊り場をぼうと眺めているとじわりと右腕が熱を持ってきた。

「――やめ、保健室いこう」

 独り言のように呟く。そうだ、そもそも保健室に行く途中だった。紫乃は一息ついて石鹸水の臭いがする階段を一階まで下りて、渡り廊下を渡って、保健室までやって来た。その間、誰にも会わなかった。授業が始まっているとはいえ、どこか不思議な寂しさが校舎の中にあった。人の気配は確かにある。けれど、まるで紫乃の周りにだけ誰も寄りついてこないような――。

 あんなにハムを食べたのに、また腹が鳴って空腹を教えてきた。「そんなに腹が減っているはずがない」と教諭の机にあった飴玉を口の中に放り込むが、味覚がおかしくなっているのか、甘みを殆ど感じない。それどころか、空腹感がみるみる膨らんでいく。

「――なにこれ」

 あろうことか槌田の顔がちらついた。さっき、噛みついてしまった耳のことを否応なく思い出す。そうだ、なんであのとき、噛みつこうと思ったんだ? 他愛もない悪戯? いや、さっき、ヤツが指し示した唇は、「お前は、人を食おうとしていたのだ」ということを知らしめようとしているかのようなそぶりではなかったか。それに――。

 保健室の鏡に映った中村紫乃の顔は悄然としていた。いやな事に気付いてしまったと言う顔。ヤツが言っていたあることばを皮切りに、紫乃の脳細胞がどんどんと熱せられていく。

「――狩る?」

 自らの体で生み出せないものは、他者より奪うしかない。だから人は鳥獣穀物を撃ち、飼い、育て、食らう。そうしなければ飢えて死ぬから。生きることを、維持できないから。

 そんな、確信が紫乃を襲う。目の前に転がる飴玉では、明らかに充たせない欲求が紫乃の想像の中で繰り広げられている。欲求は近い記憶をひもとく、同じくらい抑えきれない情動を近日に抱いたはずだ。それは。あの電車の中で、片岡千代子に抱いた、渇望。

「まさか、やだ――は、はは」

 脂汗が沁みる。自分で頬を張り冷静さを呼び込む。なんだそれ、もし、そんな馬鹿げた想像が確かなら、昨日までの自分のからだと全く違う摂理で、この体が動いていることになるじゃないか。そんな、そんなでたらめなことがあるものか――!

 外から足音が聞こえた。半分顔を覗かせる。知った顔が、寝ぼけた表情でふたつ歩いてきた。

 ――なに、その、ユカイな組み合わせ。

 そんなことを考える間もなく、紫乃の内臓が跳ねた。右手が焼きごてを押しつけられたかのように発熱し、消化器だったものたちとともにコーラスを開始する。血がめぐる。槌田のことを考えたときより、もっと熱く早い律動で、今こそ「狩り」の時だと、あるじの体に教えてくれている。食らえ食らえと叫び続けている。

 紫乃にとって、一度目は疑い、二度目は確信。どんなに疑わしくても、現実は、現象は、そう言っているのだから、従わざるをえない。ならば――でたらめでもなんでも、中村紫乃は認識してしまった、理解してしまった。この身体は、いのちを喰らいたがっていると。

「二時間目は――実験の時間だね、片岡さぁん」

 

 生きたまま、同類の、その肉を。

――食らえ。

 中村紫乃の前に、魔法少女(ごちそう)がやってくる。