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F ペイル・ペリセイド/1

ペイル・ペリセイド/1

 

 壺井あさぎはちっこい。ちっこい以前にとてもやかましい。そしてやたらと動く。授業中でも何かにつけ動いていたがる。ネズミとかリスみたいな小さい動物はでかい動物であるところのゾウとかクジラにくらべてせせこましく動き回る。動き続けていないと、常に餌を得る為に動いていないと死んでしまうから。もちろん、人間においての大きさの違いなんてきっとそんな大したものではなくて、動かなくて死んでしまうなんてことは無いだろう。そんなことはいくらおバカの壺井あさぎでもわかっている。

 でもあさぎは声を出す。大きくリアクションを取って自分の存在をうざったいくらいにアピールする。そうしなければ、自分が消えてしまうとでも言わんばかりに。それは悲鳴のように。叫べば叫ぶほど、人はその叫びに耳を傾けなくなるものなのに。

 あさぎには友達がいる。クミちゃんとシノちゃんだ。シノちゃんはシノちゃんって呼ぶとなんでか怒るし、たぶんあさぎのことを好いてくれちゃいないから、なるたけ中村さんって呼ぶのだけれど、そういうのって他人行儀で好きじゃない。ともかく、これから仲良くなればいいのだ。クミちゃんとだって、合同体育の時に暴走していたあさぎを叱ってくれたのが最初だ。

 あさぎがはしゃぎ回っていたところを飼いウサギのごとく簡単に首根っこ持ち上げられて、お尻パーンされて「おまえうるせー」と怒鳴られた。その時はクミちゃんのことなんかぜんぜん知らなくて、あさぎはきーっと癇癪を起こした。みんな「こわーい」って言って「調子乗りすぎ」なんて声がかすかに聞こえた。あさぎは、叩かれたお尻がもう痛くはなかった。

 次の休み時間、暴力女が廊下で窓を開けて空を見ながらぼーっとしているのを見つけた。よかった、教室の中じゃなくてよかった。あさぎはとてとてと隣にすり寄ってみた。

「なんだてめー、うぜーぞ」

 口汚くても、拒否はされなかった。

「…………」

 あさぎは何も言わずに、見上げてみた。

「さっきのはてめーが悪いんだぞ、うぜー」

 あさぎはそれでも無言で、にへらと笑ってクミの横に頭を寄せる。騒いでいない時間がないあさぎを知っている級友が居合わせたら、保健室に放り込む程のの異常事態。

「……ンだよ、あっちィーよ、マジうぜーぞ。なんだよ」

 言葉のぶっきらぼうさと裏腹に、あさぎはクミちゃんにぐしゃぐしゃと髪をなでられた。何も言ってないのに。「うぜー」とは言われても「あっちいけ」とはいわれなかった。

「んだよ、なに見てんだ」

 クミちゃんはわかってくれているのだと思った。だってあさぎはずっと叫んでいた。ずっと大きな声を出して、大きな仕草をして騒いで騒いでやっと誰かが疲れたような声で「あなたはいったいなにがほしいの?」と聞いてくるのだ。そのころにはもう、なにがほしくて騒いでいたのかなんて忘れているに決まっているじゃない。みんな意地悪だった。でも、クミは意地悪じゃない。話す前に、騒ぐ前に、わかってやれると言ってくれているのだ。

 よかった、まだあさぎは頑張れる。声を涸らさなくても生きていけるんだ。

 その休み時間のあいだ。ずっとクミの手の中で頭をなでられていた。本当に珍しいことに、その休み時間の間、壺井あさぎは一言もしゃべらなかったんだ。

 

 

「ひぁぇえええああああっ?」

 壺井あさぎは、ちっこい。

 だから、駅で急停止したときだって、人に流されてしまう。足が付かないこともある。

 だから、自分の倍ほどもある――本当のところは倍もあるはずがないので、せいぜい三割増程度の――同級生の体が、床に落ちていくのを止められなくても仕方のないことなのだ。

「むぎゅううう」

 だから、声を上げてもつぶされてしまう。あさぎはご丁寧に自分で効果音を発しながら地球の引力がいかに残酷かをその身で知る。背中から甘い香りを放ちながら落ちてきたのは女学生だった。その細く不安定そうな長身の身体を支えようとして一緒に倒れてしまいながら「あ、昨日あさぎをはったおした片岡さんだあああ」とやっと気付いた。

 学校駅まではまだすこし、朝の電車は『お客様体調不良』を発動することなく運行を続ける。

「――か、片岡さん? 片岡さんんん?」 

 声を掛けてもぐったりしていた。片岡千代子の体は重かったけれど、タッパから想像される重さよりははるかに軽い。そして香水か、薄くチョコレートの香りがした。

 ――ざわり。

 あさぎの胸がにわかにざわめく。それはその香りの所為なのだけれど、あさぎにはそれが原因であることはわからなかった。そんなことより、千代子の体を――支えきれずに床に叩きつけられてしまった千代子の膝とかそんなところを気にしていた。

「ね、ねええ、大丈夫うう? いたくないいいい? すいませええええん! 誰かああ!」

 電車の中でもあさぎは声のトーンを落とさない。見ると千代子の衣服は非常に乱れている。胸元ははだけ、スカートはずらされている。まわりの乗客は――なにか後ろめたそうな、キツネに摘まれたような顔をして声も手も貸そうとしてなかった。

「なによおそれえええ!」

 あさぎは周囲をキッと睨む。その中には同じ制服を着ている学友達も居る。こんな辛そうにしているのに、彼女はビョーキっぽいところあるから電車とか苦手なのをみんな知っているはずなのに。確かに片岡さんはキツいけど、こんな時にまでハブるつもりなのか。

「……だ、だいじょうぶ……だから」

「片岡さんんん!」

 千代子が言葉を吐き、それを聞いたあさぎが破顔する。ともかく意識があれば大丈夫だろうとあさぎは思う。同時に自分の中にある罪悪感に気付いてそれをナイナイする。実はさっき、一瞬、手に力を入れるのを一瞬ためらったのだ。昨日の放課後のこともあって、千代子の体に触れるのが怖かった。だから、膝を打たせてしまった。

「ひ、ひざとかああ……その……服とか……だいじょぶ?」

 あさぎは目のやり場に困っている。気付いてみれば、熱でもあるのかと誤解してしまそうなほど、扇情的な身体だった。目を逸らしたあさぎの頭上には、週刊誌の下品なあおり文句がこれみよがしに靡いている。「わがままボディの戦略! エロ女のこのポーズはヤれる!」あさぎはまるで、男子高校生みたいにツバをのみこむ。同性の、同級生のあられもないその姿をあてはめてしまう。それは自然に、周囲の無関心な群れの態度の理由に繋がっていった。

「――かっ、片岡さんんんん! もしし、もしかしてええっ」

「ふ、あっ……ご、ごめん、なさい……」

 肩を掴むと、なにやらほんのりと熱っぽい声と共に謝罪されてしまう。眠そうにゆらゆらと首を揺らすと、やはり焦点の合わない目を泳がせながら呟く。

「え……――ううん? なんでもないのよ……なんでも」

「ほ、ほんとおおお……?」

 あさぎはその言葉を、疑念の先に予想されるものを飲み込む。二人はまだ床に座り込んだままで、それは相当に異様な光景だった。傍目には人の波に押されてバランスをくずした学生程度にしか映っていないから? そんなわけあるか、片岡さんは、なにかされてしまってたんだ。

 人々の横顔を詰る視線で追っていると、千代子がすっと顔を上げてあさぎを見た。

「あ、片岡さ――? た、立てる?」

 ゆっくりと。千代子は床に手を付きなおすこともなく、誰かの手を借りることもなく、ゆらり体の重心を動かして音もなく立ち上がっていった。電車は走っているのに、その力の所在を感じさせることのない優雅なたたずまいに見えた。艶をふんだんに含んだ漆黒の髪が踊る。

 今時黒髪とかどうかしてる。女の子はたしなみとして多少なりとも色を落とすものだと、あさぎは知っている。学年に何人かいる黒髪の子たちの黒髪は決して美しいとは言えない。

 しかし、今日の千代子のそれには価値が、威厳があった。昨日までの千代子がそうであったか定かでないけれど、メイクの跡があり眉も整えられている。黒髪は深い艶と闇をもって、波のようにうねり、制服の後ろで凪を保っていた。

 けれど、なにより目だった。とろんと泳ぎながらも、何かを求めているような潤んだ目で、笑ってあさぎを見下ろしていた。それだけで、無性にドキドキさせられてしまった。

「手を、貸しましょうか?」

 千代子の差し出した手にあさぎは尻餅のまま頷こうとして、躊躇う。

 千代子の目はまばたきの度にぐるぐると移動し。息も頬も熱を持っている。あさぎはいつもだったら考えたりせず「ねーねーねーもしかして、風邪でもひいているの片岡さんんんんっ!」と車内であることも省みず、気軽に、ゴールの途中まで並べられたハードルをなぎ倒しながら爆走して痛いツッコミを貰うパターンなのに。「ね」の字も発せずにいた。

「――――はい、遠慮なさらないで」

 返事のないあさぎの前に、手が差し伸べられ続けている。この行為がそもそもおかしいのだ。あさぎは知らない振りをしていてもちゃんと知っている。千代子が他人と手を繋いだり、電車の席に座れないくらいビョーキな潔癖があることを感づいている。隣に座っているはずのクミちゃんが、そのことに頓着してあげないのも知っている。だから、昨日のあさぎがふっとばされたのは当然のことなのだ。

 でも、あさぎは、片岡千代子と友達になりたかったんだ。だから。

「あ、ありがとお……おおぉ」

 胸の奥で鳴る警鐘をシカトしてあさぎは、差し出された手を握った。おっかなびっくり握り、ぴょんと自分の身を車内に立てる。ツーテールが元気に跳ね終わる。周りに存在した緊張が解けて人の群の輪が縮むと、あさぎは千代子の腕の中に収納されてしまった。

「お、おはよううう。片岡さんん」

 千代子の体に包まれたあさぎは彼女が震えているのに気づいた。あさぎは、さっき見えた千代子の表情や態度は、彼女が持つ不器用さ故の苦悶の現れではないのかと思った。自分のように考えたこの潔癖症の少女が絞り出した、ささやかな勇気ではないのか、と。

「ええ――おはよう、ございます」

 なら、同じだ。車内で悪戯をされて、こんなに震えて、孤独を味わってなお、毅然を保とうとするデカいくせに健気な少女を助けられるのは自分ではないのか? あさぎは内なるその声に押される。――そうだよ、だって、手を取ったのはこの壺井あさぎなんだから。

 繋いだままの手をぎゅっとたぐり、その華奢に身を寄せる。

「――――~~っ!」

「どうしたの、どっかいたいいい?」

 ふるふると首が横に振られる。

 やがて、千代子の手があさぎの背中に回されて、背丈の差の分だけ抱えるように抱きしめられる。それはいくぶんかキツくもあったけれど、じぶんがよしよしをしてあげられているかのようにあさぎには感じられた。言葉にしなかったけれど「安心して」と言ったつもりで。

 

 自分がかつて、クミちゃんにしてもらったように。泣くほどうれしかったように。